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2010年9月24日 (金)

フレッシュプリキュア考察~ラブはなぜ美希を「美希たん」と呼ぶのか?

 ふと疑問に思ったので、この件について考察してみます。
まず「たん」付けで呼ぶと言うのはいかがなものでしょうか?
「ちゃん」でも「さん」でもなく「たん」です。「たん」。
冷静に考えると、あまりいい感じはしませんよね。
なんだか子供扱いされてるみたいだし、下手するとバカにされてるようにも思えます。
しかし、なぜか美希たんは「美希たん」と呼ばれることに対して、
ラブになんの抗議するどころか、すんなりそれを受け入れてるように見えます。
これは一体どうしたことでしょうか?
確かに、ラブと美希は幼馴染という間柄ではあります。
それゆえ、以前からラブが美希のことを「美希たん」と呼んでいて、
それが現在に至っても続いているだけの話かもしれません。

 しかし、本当にただそれだけの話なのでしょうか?
ひょっとしたら、ラブが美希を「美希たん」と呼ぶのは、
彼女の処世術の賜物ではないでしょうか?

 周知のように、ラブは割と外交的な性格で、人当たりも良く、
誰とでも打ち解けて仲良くなるのが上手いですよね。
では、他人と打ち解け仲良くなるにはどうすればよいかと言うと、
まずは、その人との距離を縮めること、これに尽きます。
そして、それが顕著に表れるのが、「名前の呼び方」なのです。
皆様も、割と親しい間柄の人には、互いに「あだ名」や「ファーストネーム」、
それも「呼び捨て」で呼び合うのに対し、特に親しいと言う訳でもなく、
付き合いも浅い人に対しては、ちょっと距離を置いたところがあり、
呼び方も「ファミリーネーム」の方に加え、
「君」付けや「さん」付けで呼んではいませんか?

 このことは、ブッキーを見ればよく分かりますね。
当初彼女はタルトやせつなのことを「さん」付けで呼んでいたのに対し、
いつしか「ちゃん」付けで呼ぶようになっていました。
これは付き合いを重ねることによって、親しみが増し、
両者との距離が縮まったことによるものであることは明白です。
そして、普通はこういう風に段階を経て仲良くなっていくにつれて、
名前の呼び方も変わってくるものなのですが、
社交的、外交的で人付き合いの上手い人は、
最初から名前の呼び方を互いに指定することにより、
いきなり距離を縮めるという荒業を使ったりします。

例えば……

  K「カヲルでいいよ。碇君」
  S「じゃあ僕も、シンジでいいよ」

とか、

  M「オレのことは桃ちゃんと呼べよ」

……etc

 実際に、女性はよくこういうこと言いますよね。
「ああ、堅苦しいから名字で呼ばなくていいよ。○○(ファーストネーム)って呼んで」
という風に。
(もちろん、女性同士の間においての話ね)

 もっとも、過去にラブと美希の間に何があって、そしてどういう経緯で
ラブが美希のことを「たん」付けで呼ぶようになったのかは分かりません。

 しかし、ラブがここまでかたくなに「たん」付けで呼ぶと言うことは、
美希といつまでも友達でいたいという想いと共に「対等の関係でいたい」という願望も
潜在的にあったのではないでしょうか?

 と言うのも、美希はラブやブッキーと比較しても非常に大人びていますし、
周囲の男子からも、通ってる学校のこともあってか、「芸能人か?」と思われ、
「高嶺の花」的な存在として、遠巻きに見られています。
そして、こんな人が友達にいると、普通は多少なりとも何かしらのコンプレックスを
抱いてしまい、妙に意識したり、互いの関係もぎくしゃくしたりするものですが、
この3人にはそういったことが一切ありませんでした。

 それは一重に、ラブが「美希たん」と呼ぶことが大きかったのではないでしょうか?
ラブとしては、例えば美希が将来モデルや芸能人として大成したとしても、
あくまで自分の親友としての美希、すなわち「美希たん」であって欲しいという、
潜在的な願望、もしくは親友の「美希たん」でいてくれるという信頼から
今まで通りに「美希たん」と呼び続け、当の美希は、周囲から遠巻きに見られる中、
自分を親友として、対等な存在として扱ってくれるラブに、
昔と変わらず今でも「美希たん」と呼んでくれることに、
少なからず安堵感を抱いていたのではないでしょうか?
そしてブッキーは、彼女ー1人だけならば、周囲のその他大勢の人達と同じく、
美希を遠巻きに見てしまい、距離をおいてしまうところだったのを、
ラブが昔と変わらずに「美希たん」と呼ぶことに勇気づけられ、
改めて自分達が親友同士であるということを再確認させられたのではないでしょうか?

 そう考えると、ラブが美希を「美希たん」と呼ぶことで、
あの3人の関係は良好であり続けたとも思えるわけで、
普段何気なく使ってる名前の呼び方1つ取ってみても、
非常に重要なんだなあ~ということを痛感させられますね。

 もっとも、今述べてきたことも、例によっていつものごとく、
単に私の「上人の感涙」でしかないのかもしれませんが、
皆様もこれを機に、ご自分の交友関係及び名前の呼び方などを
振り返ってみてはいかがでしょうか?
今まで気付かなかったことに気づいたり、新しい発見があるかもしれませんよ。

 P.S.
散々御託並べましたが、『フレッシュプリキュア』は、私が初めてまともに視聴した
『プリキュアシリーズ』ではあるものの、それほど毎回真剣に観ていた訳でもないので、
ひょっとしたら、劇中で語られていたりしたかもしれませんが、
もしそうであった場合は、軽く流してくださいな。

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コメント

はじめまして。「プリキュア考察」でググってたら興味深いこのブログにたどり着きましたので足跡がてら私なりの「美希たん」考察をしておきます。

私の考えは”いつもあなたは「私は完璧!」と豪語しているけれど、女の子らしくって弱い女の子なのよ”とラブに繰り返し知らされていると考えています。

本当に完全無欠、掛け値なしの相手に対しては恐らくは「さん」と呼ぶことでしょう。それはラブからすれば「憧憬の的」であると思われます。ダンスの師匠であるトリニティのリーダーを「ミユキさん」と呼んでいることからそれがうかがえます。「さん付け」はある意味、ラブにとっては”超えられない壁”とか”目標たる存在”や”憧れの人”なってしまい、”親友であり戦友”たる相手とはなり得ないと思うのです。だから「ミユキさんが4人目だったらいいのになぁ」とラブが呟くのです。そうすることによって戦いの世界からミユキを遠ざけることとしたのでしょう。

また、キュアパッションであるせつなに対しては単純に「せつな」と呼び捨てにしています。友人で戦友であるパッションではあるものの、もとはラビリンスの人間のせつなはラビリンスの生活が大事であり、戦いが終わったらいずれはクローバータウンを去る(別れる)時が来ると予感していたラブは別れの時の悲しさを味わいたくないと思い、固有の呼び方(ちゃん、さん、ニックネーム)を切り捨て、呼び捨てという選択をしたと考えます。

これらのことから「幼馴染で美希の心のあり体を熟知している」ラブだからこそ、「さん」でも「ちゃん」でも「ニックネーム」でもなくファーストネーム+「たん」で呼称することがラブなりの親愛表現だったと考えます。

長文になりましたがここいらで失礼いたします。
ではでは。

投稿: さいばすたー | 2010年11月15日 (月) 11時16分

さいばすたーさん、はじめまして。
返信が遅くなってすいません。
大変興味深く読ませていただきました。
それで「ちゃん」付けがないなあ~とふと思ったんですが、
よくよく考えると、カオルちゃんがいましたね。
こうして見ると、さいばすたーさんのおっしゃるように、ラ
ブのみんなに対する「呼び方」と言うのは、それぞれに違っていて面白いですね。
もう一度注意深く見ればまた違った発見があるかもしれないので、
おいおい観直していこうかなぁ~と思います。
この度は深い考察をありがとうございました。

投稿: J影虎 | 2010年11月20日 (土) 07時52分

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