「ありがとう」を伝えよう
突然ですが、皆様は普段から人に対して「ありがとう」の一言が言えていますか?
人から何かしてもらっても、それが当然のことだと思い、礼を言わずに済ませていませんか?
相手が部下だから…後輩だから…子供だから…自分に借りがあるから…etc
そんな理由で、自分が何かされて当然だと思っていませんか?
また、大したことしてもらってないからお礼なんか言わなくていいとか考えていませんか?
もしそうだとしたら、今からでも遅くはありません。
意識を変え、意識的に「ありがとう」と言うように心がけてみましょう。
こう言うと、いささか説教くさいと思われるかもしれません。
しかし、説教しているつもりは毛頭なく、する気もサラサラありません。
私はただ気づいて欲しいのです。
ちょっとしたことでも、互いに「ありがとう」と言っていければ、人間関係も今よりもっと良くなるし、何より自分自身が人間的に大きくなれると言うことを。
どうか、そういった趣旨をご理解いただき、これからするお話にもお付き合いいただければ、幸いです。
人は他人に何かしてもらった時、必ずお礼を言わなければなりません。
例えそれが、どんなに些細なことであってもです。
これが、ルールです。
しかし、こういう風に言われても、当たり前のことだと思う人もいれば、いまいちピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今度は、分かりやすい例を出しましょう。
例えば、食事中に醤油を取ってもらったとします。
この時、お礼を言わなければならない。
○か×か?
先に正解を述べましょう。
答えは、○です。
例え、食事中に醤油を取ってもらう…そんな些細なことであったとしても、取ってもらった側としては、礼を言わなければならないのです。
しかしながら、「いや、近くの者が取ってあげるのがテーブルマナーじゃないですか?」
そう言われる方もいらっしゃることでしょう。
そうです。その通りです。それはテーブルマナーです。
しかし、それでも取ってもらった人は礼を言わなければならない…。
それが日本の礼節であり美徳というものなのです。
間違っても、「近くの者が取ってやるのがテーブルマナーであって、それはちゃんとテーブルマナーとして決まってることだから、取った人はただ決まったことをしてるに過ぎないじゃないか。そんな行為になんで礼を言わなければならないんですか!」等と、そんな風にゴネてはいけません。
実際、あなたが誰かに醤油とって差し上げたとして、それをひったくるように取られ、こんなこと言われたらどう思いますか?
また、第三者としてそんな光景を見たら、どう思いますか?
見苦しいとは思いませんか?
たった一言礼を言うだけのことなのに、なんでそこまで頑なにそれを拒むのか?
そう思いませんか?
そして、こんなことをされたら、その人に対して今後醤油を取ってあげようと思いますか?
何かをしてあげたいと思いますか?
つまりはそういう話なのです。
しかしながら、世の中にはこのように、礼を言わない人というのも少なからずいるものです。
昨年、私のまわりでもこんなことがありました。
ある時、A君とB君の2人組が、ツイッターであることを募集していました。
たまたまその募集ツイートを見かけたC君という人は、そのツイートをRTしました。
少しでも多くの人の目に触れれば、興味を持って募集してくる人がひょっとしたら出てくるかもしれない。そう思い、ささやながら協力したのでした。
すると、B君は、すぐさまお礼を言ってきました。
「ありがとうございます」と。
対して、C君は「いえいえ、大したことできませんけど」と返したのですが、これについてもB君は「十分です。助かります」と感謝の言葉を述べました。
一方、相方のA君からは何のコメントもありませんでした。
それどころか、相方のB君はお礼を言ってるというのに、A君は「自分は手伝ってもらってなどいない!奴はただRTしただけじゃないか。なんで礼を言わないといけないんだ!」と、それはそれは大層な怒り様だったそうです。
いかがだったでしょうか?先程の醤油の話に似ていると思いませんか?
確かに、C君は礼を言われる程のことはしていないのかもしれませんし、実際に彼自身もそう思っていました。「別に大したことはしてないし、偶然募集ツイートを見かけたから、気まぐれでRTした…」その程度の軽い気持ちでやった、ほんのちっぽけな行為に過ぎません。
しかし、C君自信が、そんな「ちっぽけ」と思えるような行為でも、B君は「それをしてくれた」ということに「ありがとう」と言ったのです。
おまけに「十分です。助かります」とも言ってるのてす。
それに対し、そんな「ちっぽけ」なことを「RTしただけ」と吐き捨て、相方がお礼を言ってるにも関わらず、自らは頑として礼を言わないA君、この両者の違いは何なんですか?
お礼を言ってるB君がおかしいのですか?っていう話なのですが、それがA君には分からないのです。
これがA君だけの話ならばまだいいです。
いや、よくはないですけど、よしとしましょう(笑)
しかし、相方のB君がいて、そのB君にだお礼を言わせておきながら、自分は礼を一切言わない…こんなことがあっていいものでしょうか?
これではB君の立場がありません。
B君の立場になって考えてみましょう。
人から何かされて、自分は礼言ってるのに相方は礼を言うどころか悪態ついてたらどう思いますか?
非常に気まずい上に、その人に対して申し訳なくなるでしょう。
つまり、A君がやってることは、B君の行為を愚弄するどころか、B君の顔に泥を塗るようなものなのです。
しかし残念ながら、そのことすらもA君は分からなかったのです。
もっとも、A君がC君に礼を言わないのは、実は理由があって、A君とC君は、ちょっとしたいざこざがあって揉めており、A君はC君のことを嫌っていたのです。
嫌いな人に頭を下げたくなかったのです。
しかし、嫌いな人だからと言って、礼を言わなくていいなんて言い分は通用しません。
社会に出れば嫌いな人なんて、それこそわんさか出てきます。
それは上司であったり、同僚であったり、部下であったり、後輩であったり、親戚であったり、近所の人であったり、取引先であったり、常連客であったり…と、実に様々です。
そして、仕事をしていれば、いや、仕事でなくても生きていれば、自分が何かミスをして、それを嫌いな人からフォローしてもらったり、カバーしてもらったり、尻拭いをしてもらったり…そういうことも起こるのです。
しかし、嫌いな人だから礼を言いたくないなんてこと、許されるはずがありません。
例え、嫌いな人であろうとも、詫びるべきところは詫び、礼を言うべきところは礼を言う、それが社会のルールなのです。
とは言え、実際問題、こういう風に礼を言わない人がいるという悲しい現実もあります。
例えば、差し入れをもらって、みんなが礼を言ってる中、1人だけムスッとした表情を浮かべ、礼を言わない…こんな人も確かに存在するのです。
そして、これが子供であれば、「あなたもちゃんとお礼を言いなさい!」と、注意されたりもするのでしょうが、大人の世界ではさすがにこんなことは滅多にありません。
ただ、まわりの人からは「なんだあいつは!」と白い目で見られ、確実に信用をなくし、次第に孤立していくようになってしまうのです。
さて、いかがだったでしょうか?
ああ、こういう人まわりにいるよ。という方もいらっしゃっのではないでしょうか?
そして、ご自身を振り返ってみてどうだったでしょうか?
ちゃんと普段からお礼を言えてますか?
もし、あまり言えてなかったとしたら、今後は意識して言うようにしてみてはどうでしょうか?
すぐには何も変わらないかもしれません。
しかし、それを続けることで、あなた自身もそうですし、まわりの人も変わっていくことかと思います。
先日、私は甥っ子や姪っ子達と会いました。
みんなまだ小学生ですが、彼らを見ていると、実に些細なことにも「ありがとう」と、ちゃんとお礼を言うのです。
そして、それは誰しもかつてはそうであったはずなのです。
しかしながら、人間生きていれば色々なことがあります。
様々なしがらみが出てきて、素直にお礼を言えない…そんなことも出てきますし、前述したように、当たり前のことだからこそ、それに慣れてしまって、逆に疎かになってしまうこともあります。
ですから、これからは意識的に「ありがとう」を言うように心がけてみましょう。
誰だって、「ありがとう」と言われれば嬉しくなりますし、その人のために「また何かしてあげよう」と思えるようになります。
もちろん相手も同様です。
そして、それがまわりにも広がっていけば、「誰かのために何かをしてあげたい」と、みんながそんな優しい気持ちになりますし、毎日を笑顔で過ごせるようになることでしょう。
何も難しいことはありません。
「ありがとう」
ただ一言それを言い続けるだけで、みんなが良い気分になれるのです。
お金も全くかかりませんし、良いことずくめではないですか(笑)。
そして、お礼を言わない人にはちゃんと注意してあげてください。
確かに、良い歳した大人に「ちゃんとありがとうと言いなさい」と注意するのは気が引けるものです。
しかし、現実問題、ちゃんとお礼を言えないまま大人になってしまった人も大勢いるのです。
それは環境の問題もあることでしょう。
最近は給食を食べる時も、「給食費はちゃんと払ってるから」という理由で、「いただきます」「ごちそうさま」を言わせない父兄もいるらしいですし、そういう環境で育てば、礼を言わないまま大人になっていく人が増えていくのも無理からぬことかと思います。
しかし、そうである以上、どこかで教え正さなければ、彼らは一生このままです。
ではいつ言うのか?今でしょ!(笑)
と言うわけで、人に注意するというのは、いささか躊躇われることではありますが、1人1人が根気よく心がけて注意していけば、変わっていけると、私は信じます。
ぜひ、1人でも多くの方がこれを実践してくれることを、私はただただ願う、今日この頃です。
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